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2014/01/17

19年

昨日は慌ただしく入院準備をして、長期入院の覚悟をしました。

いざ病院で検査をしたらあっけなく基準値に戻っていて、

「では又来週ですね〜」という予期せぬ言葉に、どっと力が抜けてしまいました。

そして今日のニュースもきちんと頭に入って来るようになり、

あぁ今日は17日かぁと思い出したのでした。

祖母の命日です。

実際に現地で体験された方々からすると申し訳ないばかりですが、

間接的な人間からすると、もう随分昔の事という感覚になってしまいました。

新聞の関連記事も随分小さくなりました。

そうやって次第に忘れ去られて行ってしまうのだなとも思いますし、

記載事項が減る程にまで復興が完了してきているのかもしれないとも思います。


最近、祖母の事をありありと思い出したのは、歌手の島倉千代子さんが亡くなった頃でした。

島倉さんの命式を出した時、あれ?祖母とそっくりの命式だと気付きました。

祖母は混じりではなかったですが、ほぼ島倉さんと同じで、

芯がありしっかり者のようでいながら、はかなげで、愛嬌のある女性でした。

今の感覚からすると随分若い頃から、孫8人に囲まれて、

満面の笑みを浮かべている写真が、家族一番のお気に入りです。


祖母にとって最後となるお正月の前夜、

新年を迎えるという事が、現代よりもずっと有り難みのある時代だった、

子供の頃の事を話してくれました。

大晦日には早く家事を済ませて、皆で紅白を見る(聞くだったか?)のが楽しみだったという、

当時の標準的な家庭風景の話だったと思います。

大晦日のお風呂上がりには、下着から何まで全部新しい物に着替えて、

(最大の娯楽であった)紅白が始まると、夢見心地でとてもわくわくしたのよ。

そう言った後、島倉千代子さんが歌う「人生いろいろ」を一緒に口ずさみ、

はしゃいでいた姿を鮮明に思い出しました。

祖母も当時の気分を思い起こしたのでしょう、歌詞とは似つかわぬはしゃぎっぷりでした。


そんな普通の主婦と、スター歌手の間に思わぬ共通があった事に、

今になって判明するとは面白いものだなと思いました。

そんな訳で、スキャンダル等であまりいいイメージを持てなかった島倉千代子さんを、

ぐっと身近に感じられて、最後に収録されたという歌は涙なくしては聴けません。

というか、すぐに泣いてしまうので聴けません。


ちょっとしんみりした所で、

「これで僕はとうとうミナシゴになってしまったよ」と、

当時40代だった父が母に言ったひと言を思い出し、現実に戻りたいと思います。

こんな19年目を迎えています。

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